昭和40年06月18日 月次祭
御造営に関しての御理解、善導寺―合楽の原型心行の原型。
(途中から)
お広前は信心の稽古場である、その稽古場であるところの、お広前でどのような信心の稽古をさせて頂くか。皆さんはどうですか。信心の稽古に通うて来ておると言う実感でお参りになっておられる方があるでしょうか、ね。ただ子供達が小学校の子供達がほとんどですね、雑嚢かろうて学校へ行く。さぁ今日も勉強に行くとはまぁ思うていないかもしれんけども、勉強して来ておる。まぁその程度のもんじゃないでしょうか。
けれども段々分かって来るとやはり学校には勉強に行くのだとね、折角習うのならば、本気で覚えさせてもらわなきゃ馬鹿らしいと、高い授業代はろうてね沢山の時間を使うて稽古に行くのであるから、やはり自分の身に学徳が付かなければ馬鹿らしいと言う欲が出てくると思うのです。皆さんの場合はどの辺のところでしょう。小学生だか中学生だかね、初めの間は皆がおかげを頂かなければならんからお参りをして来る。ね、
おかげを頂かねばならんから、お参りをして来るのですけれども、ね、言わばほん、本当のおかげを頂こうと思う。神様が下さろうとするようなおかげを頂こうと思う。どうぞ氏子信心しておかげを受けてくれよ、と仰るようなおかげを頂きたいと思う。というようなところから、信心の欲が出てくるんじゃないでしょうかね。そういう欲が出て来た人でも、勉強はしないではいけん。
皆さんがお参りになる時に果たして私は稽古に通うておるんだと、そういう実感が段々積み重なって行くと、信心が楽しくなって来ると思うですね。今日はどげなご理解頂くだろうかと。今日お広前でどういう有り難い事を神様にお知らせを頂くだろうかと。いや、ご理解を頂かなくても、神様のお知らせを頂かなくても、お広前におひき寄せを頂いた、その感じと言うものが、そのつどつどに違う。
そこんところがまた妙である。楽しみである。お広前に漂うところの、霊徳と言うかご神徳というか、そういうようなものが自分の心次第でキャッチ出来る、その度合が違う。信心の稽古を、ここには信心の稽古に来る所とこう。皆さん一つ本気でね、信心の稽古に通うてみにゃいけませんです。今朝から私皆さんに聞いて頂いたんですけれども、昨日、親教会の総代会がございました。
私もおかげ頂いたんですけれども、その中に善導寺の教会が、来年で60年になります。北野、それから善導寺に移られましてから、通算してから60年間。その間に総代を勤められた方達が20数名ある。その20数名の総代さん方達の、慰霊祭をさせて頂いたらどうだろうかというよう話が出た。あっ結構ですなぁと。けれどもいくらしてもやはり真心込めて・・・。したら、ある総代さんが言われました。
ばってんあんた、ただじゃ出来んもんなけんで。ただで出来んことは分かっておる。ね、して私は申しました。ほりゃ勿論するからにはね、やはり思いを込めての、やはり霊祭にならなければならん。そしてその遺族の方達くらいは、私はお参りするくらいな気持ちがなからにゃいけん。言うならご直会一つでも皆に、いくつも持って帰ってもらえるくらいな、どうかしなきゃ私は、歴代総代の慰霊祭はすると言うても、ね、
ただしましょうだけではいけんて思う。結局その話はまぁ立ち消えに、ならまたこの次ということになったんですけれども。その当時に親先生が、覚えておられる、私共の子供の時から知っておる限りをこうやって拾うてみたところ、どうしても20名くらいしか思い出せなかった。その20名の方達がです、現在信心の残っておるのは、たった二人だけと。岸先生の所とね、岸先生のご本家の岸饅頭屋の、家に信心が残っておるだけで。後は、後は信心が残っていないと言う事実。
去年でしたかね、あちらの総代さん方が、相次ぎ亡くなられました。まぁ本当に珍しい信心の手厚い方達でした、柴田さん。丹羽さんなんかでした、ね。その方達ですらが、もう後は信心が続いていないという事実がある。今度の、27日に、櫛原の親教会で、ここの久留米地区の、10何ヶ所の教会の、総代さん方が集まりまして、信心の共励をいたします。総代としての信心、ね。
中心にそのお話がどういう事をよってテーマに、今度なっておられるとるかと言うとですね、どうして総代の後の信心が続かないかとこりゃもうどうした事かと。総代に限った事じゃないです。私共知っとる限り総代ではなくても熱心な信心なさっておっても、たい確かに初代先代の時のおかげを蒙むっておられた、御道の信信者であった方達がです、信心を止められただけではない、後が種もほろ気もなくなっとると言う事実が。
祝いめでたの若松さまよ、枝も栄える葉も茂るというではないかと。生神金光大神は家繁盛、子孫繁盛の道を教えるという。んならその、子孫繁盛の道をお互いが稽古をしてなかったということになるのじゃないでしょうか。おかげを頂くことだけは、頂いて来た、確かに。けれども、その子孫繁盛の道を、お互いが体得してなかった。親の代よりも子の代。子の代よりも孫の代。ね、日勝り、月勝り、年勝り代勝り。
そういうおかげの頂けれる有り難い道にご縁を頂かせて頂きながらです、その道を体得してないと言うこと。ね、その道を分からせて頂くための、稽古が出来てないと言うことは惜しいことではないかと。私そのことを今日、ご神前に出らせて頂きまして、ね、思わせて頂いた。その点椛目はおかげを頂いておるなぁと言う事である。例えばこの、並んでおられる方達がです、もう私だけしか信心しとらんと言う人はまずないでしょ。もう家族挙げて信心しておられます。または親戚挙げて信心しておられます。
椛目はこれは、強いなぁと思うんです、ね。それは信心をなさった中心がです、段々おかげを頂かれて、信心しにゃ言わばそんな馬鹿らしいと言う事でもなかろうけども、こりゃ信心するのが本当だ。信心させて頂いて、信心が段々分かってくればです、ね、第一ものの見方考え方が変わってくると。しかもありが一切が有り難うなって来る。ああいう受け方、ああゆう見方が出来たら、なるほど人間が幸せっていうのはあんなものであろうかというような雰囲気が、家庭の中でも出来てくるから、子供も家内も、ね、年寄り達までが信心になってくるという、言う事になるのじゃないだろうかと。
その点椛目では段々おかげを頂いておるなぁ、とこう思うのです。まぁ言うならばです、わざわざ信心の稽古と言うて通うてはおらんけれども、小学校の学生が、小学校がですたいね、私共のあの2年生、3年生の、子供達がです、毎日学校に通う。子供は雨の日も、雪の日も通う。勉強しにゃいかん、ならんという事じゃないけれども、通わんならんけん通いよるとじゃろうけれどもです、それでもやはり、何とはなしに信心の稽古をさせて頂いておるのだ、ここで教えて頂いておるからだと云う事。
それを一つの私のです、言わば生き手本と言うものを、言わば手本にして、私は、かくおかげを頂いておる、かく自分の心の上にもおかげを頂いておる。それが言うばかりではなくて、そういうおかげを頂いた、かく、ならおかげが受けられるという事実を皆さんに見てもろうて、信心の稽古を皆さんがなさっておられるところにです、椛目では段々、いわゆる教祖の神様が仰いますような、家族勢をそろえた信心が段々出来て来るようになったんじゃなかろうかとこう思う。ここは強いですよね。
そこで思うのです。ね、そこで果たしてその中心の信心がです、ぐらつく事に出会った時に、果たしてやはり同じような勢いで信心が出来るだろうかと、思うてみなければいけません。そんな事を神様に私は今朝、思わせて頂いて御祈念に、ご、座に座らせ頂きましたらです、神様に頂きますことが、『善導、大橋、合楽』って頂きました。今度のご造営の出来ますところが大字合楽という所なんです。
大橋町なんです。善導寺、善導寺町の大橋なんです。そこの大字合楽と言う所。私は合楽と言うことはですね、ほりゃもう神様によこして頂いたなぁと。神様が初めから石浦、石浦と。石浦に土地を探せと仰っておったが、丁度石浦にその場があった。しかもその、そこが、あ、合ら、大字合楽と言う所であったと。合楽の字の示す通り。神様と私共とが合い合って。お互い喜び合って。
お前のおかげで、いや神様のおかげでと言うて、喜び合えるあいよかけよのおかげの頂けれる、言わば有り難い場になるんだという風に頂いておった。大橋とは気が付かなかった。善導寺とも気が付かなかった。今朝私皆さんに申しました。皆さん椛目にご縁を頂いたと言う事はただ事じゃないと。椛目にご縁を頂いたということにです、まず第一に感謝しなければいけないです。○○教でなかってよかった。○○という教会じゃなかって良かった。ね、椛目にご神縁を頂いておって良かったと言う事。
『善導、大橋、合楽』と言う所をです、もう天地悠久の昔からある。もう神定めに、神定められてあったと云うことなの。そこにお互いがご縁を頂けたということなのである。人間が作ったお広前じゃないと言うこと。ね、神様のご神意のままに、お心の動くまにまに、私の上に現れなさったと云う事。ここにまず皆さんがです、ね、さぁこじつけた言い分ではなくてです、ほ、おかげを頂かなければいけない。
善導、善い導きを頂いた。大橋というのは、神の世界と氏子の世界を取り結ぶ橋なのである。ね、氏子の世界、神の願いを氏子に伝え、氏子の願いを神に伝えさせて頂いて、お取次ぎの場、ご結界という、それを私は大橋ということに表現して下さったんだと私は思う。あれがただ今もう、申した通りのことなのです。ねそういう場にですお互いがね、信心の稽古をさせて頂いておると言う事がです。
有り難いという思いで、稽古をしなければいけないという事。今日でした。夕方正義さんがやって参りました。こげんして又そのあっちの、土地の方で文句ば言いよる。私昨日久しぶりで、秋永先生が、昨日見えられましたから、あちらに先生、昨日、ものすごく頭が痛かったんです。先生あちらを見なさったら頭がすっとしなさるですよっち。あちらへ行って、連れて行きましょうっち。なら行こうかっち言うてからその、秋永先生の車に乗って参りました。
ほりゃもう本当に見事です。とにかくあんた、人間の、ほどと合わない土を盛ってあるんです。高く盛ってあるんです。そこに今、堤防がばぁっとで、今出来ております。ね。もう後幾日かで、土盛だけは終わりでしょうけれども、もうあそこへ立っただけでもです、もう何とも知れん感激が湧いて参ります。ようも、ようもこう云うようなことが出来て来たなぁ、とこう思うのです。ね、
その2メートルも、言わばあちらから上の方えです、そこにお広前がこうやってもし出来ますならです、はぁ見事だろうと思うですね。なるほど神定めの土地に、ね、神定め、定めのまにまに、お広前が建立されるのであり、難儀な氏子を取り次ぎ助けられる場があそこに出来るんだと、思うただけでも、かめ、私ではない、神様がお感じになるだろうと私は思うです。
そこの堤防を使わせて頂いておる一番南側の方の、田の下がりのところに、溝を作ってくれと言われたので、最近あそこに溝を作った。ところがもう一つここの方へ、何かこうセメントでやってもらわなぁいけんという風な、まぁ話が出てるという訳である。今日、私申しました。ね、椛目の金光様があちらに移らっしゃってから、近所隣の田、畑にです災い、あの、迷惑掛けるようなことであっちゃならん。
けども必要以上なことは出来ん。すぐ明日にでん出来る事じゃないのだから。ね、だから、このひと夏過ごしてみてから、ご迷惑がかかるごとあるならばです。もう私が、あなた方言わんでんさせて頂くっていよりますけん、まぁ正義さんそのことを言うてくれて、私は言うて、まぁ言うて言ずけさせてもらいました。まぁおかげで、向こうもそげん了承が出来まして。ね、
まぁひと夏、なら見てみようという事になったそうでございますけれども、その後に私は直ぐご神前には出ませんけどもここで、正義さんが行きました後から、神様に御届けをさせてもろうた。そしたらね、神様からこう言うことを頂いた。自然の働き、神様の、即ち働きがです、ね、薄うなったというようなことを頂いた。草冠にですね、この浦という字でしたかの、とにかくあの薄いと言うような字、漢字で頂いて、草冠というのははっきり頂くのです。字に。ね、
神様の言わば御働きが薄うなった。薄うなって消えて行くようなことになったら大変なこと。神様相すいません。そのことをお詫びさせて頂きよりましたらです、行人偏の行と言う字を頂いた。行人偏の行という、ね、家業の行を、してこう、ね、修行の行です行です。ね、そしてあの行人偏の上の方のちょいがですね、段々こうやって消えて薄うなっていくところを頂いた。言わば行人偏が人偏になっていくところを頂いた。
人間がこれは心が強う成ってきたといような意味じゃないでしょうか、私は思うた。そして行が薄くなったということで私は思うた。ね、帰って参りましてから、正義さんにそのことを、こんなことを頂いたって、そうでしょうって。私が、とりあいず神様が一遍でもここにお引き寄せ下さろうとしてから、まぁおかげ下さったんでしょうと言うけん、正義さんそれは、なるほど差し当っての責任ではあんたかもしれない。ね、
けれどもお土盛のことについてはね、泥盛りの、ことを受け持って御用頂いておられる。例えば、部長さんが、久富繁雄さんですがね、大和さん、久富勇さん。もう毎日のごと御届けがございます。そしてもう、お願いである、お縋りである。ただ、正義さんそりゃあんただけの事じゃない、そこを受け持ちとされただけの事じゃない。これは勿論中心にあるところの私の信心修行が薄うなったんだという事。
言わば椛目全体の者の信心の修行がです、こういう未曾有のです、おかげを頂かせてもらわなければならない時に当っての修行が果たしてこれで良いのかと、言うことだと私は思うた。行をですね、行人偏の行の上の点、こ、これがです、段々薄うなって来た。人偏にこう書いてご覧なさいこりゃ何、こりゃ、すら字になってしまいますよ、そうでしょうが。今こそ人が人偏なら、私は行人偏といういき方でいかねばならない時じゃなかろうかと。ね、皆さん願っておられますよね、いろんな意味で、もう。
色んな皆さん、ご修行が出来ておられる。ね、けれども、これで良いということはないと云う事。そうでしょう。皆さんが例えばですね、婦人総代さん方やら、特別奉修委員の方達やらは一週間に一遍づつ、ここに勢を揃えて皆で御祈念がある。だからこれは皆さんだけの10何人かの者の、例えば御祈念会であってはならない。これに皆がついてこなきゃいけない。今日は特別御祈念があるのだから、と言うてです。
皆さんがこれを聞き伝えてから段々お広前いっぱいの人達が集まって、その事のだけの信心修行が奉修されるようになってこなければいけない。と言う風に私は、まぁ申しておるわけですけれども。そういう意味合いで皆さん個人個人では、言わばなさっておられるだろう、だろうけれども、言わばバラバラではいけない。ね。そこで、私はその初めに申しました、ここには信心の稽古に通うて来るということなのである。
信心の稽古に通うて来る。しかもなら稽古をさせて頂いたことを家業の上にもそれを現して行こうという行をさせてもらう。先日、福岡の渡辺先生が、御心耳を頂いておられますね。『表行を以って心行とせよ』というお言葉であった。だから先生どういうことでしょうかと、私が考えさせて頂きましたら、表行とは表の行ということを頂いた。あなたはどげん思いなさったですか、私は表行とは和らぐ心。ね、
その心を以って、例えば腹を立てんならん時にも立てんですむ。こりゃ,心せく時でも、金光様金光様と言やこれがおさまる。何時もやわらぎ、和らぎ喜ぶ心を持って、心行とせよということに教えて下さったんであろう、だからその、そのことに焦点を置いておる。なる程そうなんだ。けどまいっちょ向こうにある。ん、神様が一石投じなさると一言二言じゃない。これ、表行を以って心行をせよということなのである。
こりゃもう大変、深いことになりますです。表行というのは形の行、家業の行ではなくて、形の上でする行。皆さんが家庭の上に置いてです、様々な修行をやはりなさっておられるであろうと。とりあいずご造営のことに当ってはです、それぞれに心魂を砕いておいでだろうと、けれどもこれですんだとは思えないのである。そこで皆がです、ね、勢を揃えて、同じ形で、同じ時間にです御祈念をさせて頂くというなら、やはり朝晩の御祈念か、こうしてお月次祭の場でなからなければならないと言う事。
私共のさせて頂く修行の中にはです、もうちょっと心がければ、もう結構出来る修行を疎かにしておるような事はなかろうか。わざわざ特別な修行に取り組まんでもです、ね、自分がちょっと心がけさせて頂きさえすれば、きちっと8時半の、夜の御祈念。ね、お月次祭の時間にきっちり始めることが出来る。これなんかもうちょっと皆が本気で信心の稽古をしようという気になる、ね、
このことを以ってご造営のです、形の上での、しかもこれがです、足並みそろうたところの信心の修行と言う事にでもなって来たら、私は有り難いことだと私は思う。これが疎かになっておる。ね、出来ん、出来ん修行にばっかり取り組んでから、また失敗しました。もう先生もう泣こうごたる。泣きゃよかって。出来もせんくせに、もうほんの、これから先で言おうとして。ち、わんわん泣いてみりゃよかたい。ね、
例えばです、例えば、ただ今私が申しましますような、ね、ちょっと心がければ出来る修行が出来ずしておいて、そういう難しい行が出来るはずがないじゃないかと。私共どんなに一生懸命の修行させて頂いても、どこにお粗末ご無礼やら、あるやら分からない。ましてここが、こうするのが本当だということが心がければ出来る事をです、心がけようともせづ、稽古しようともせづ。
そして泣こうごたる修行に取り組んだ所でどうなるかと。そこのところが出来させて頂いて初めて私は、その今まで難しいと思うておった修行がさほど難しくない修行に切り替えさせて頂けるようなおかげが頂けるんじゃないか、と云うふうに私は感じるのです。ね、その信心の稽古が、ね、金光大神様がです、教祖の神様がです、家繁盛子孫繁盛の道を教えると、教えておられるところの道とはそういうような、心がけで信心の稽古をさせて頂くということではなかろうかという風に、私は思うのです。
只、何とはなしにです、お参りをさせて頂いてから、今日の御理解は良かった。今日の御理解なるほどと思うた。思うただけ。詳しゅうなっただけ。ね、それではです、何時の間にか何とはなしにです、なる程ここへ一足でも向けて来りゃ無駄にはさせんと仰るのだから、おかげにはなるに致しましてもです。子供に孫にね、子々孫々に伝わって行くようなおかげにはならんと私は思う。
事実なものだと、言っておるのです。ね、60年間の歴史を持っておる私の親教会の総代さん方がです、ね、入れ替わり立ち代り次々と広大なおかげを頂かれた方なんです。そしてその通りの御用も勤められたんです、それがです、子になり孫になったら、後の方には、もう、無くなったというようなことでは、金光大神に対してでも相済まんことになるじゃないか。そういうおかげの頂けれる道なのだ。
また金光大神はそういう道を教えて下さるのである。私がおかげを受けて来た事を話にして残しておくと仰るのである。ね、そこのところの道をです、分からせてもらうところの、信心稽古がです、ね、身に付いて来ると同時に信心の喜びも、楽しみもまたあるのではなかろうかと私は思う。大変難しい修行に取り組んでおられるのを、それを止めろとは言わないけれども、その前にまず身近な手近ないわゆる行人偏で言うならば、ちょいの所を、をっです忘れてから、これは行にはならんという事。
行が行にならんという事。ね、そして表行を心行とせよというような難しい修行にも取り組ませて頂き、今までどうにも出来なかった、改まると言う事にも取り組ませて頂き、ね、おかげを頂いていかなければいけん、とこう思う。ね。どうでしょうかね、お月次祭に皆さんが、ね、一心乱れず皆さんの願いが思いががです、ね、ご造営のご成就のことの為に、修行させて頂くのだぞと。ね、
その事を以って、その事を通して信心の稽古をさせて頂くのだというようにです、ね、本気で家を出る時から信心の稽古に通わせて頂いておるんだと。いや、今日は稽古に通う日だという事をです、心に銘記させてもらなきゃいけん。思い込ませて頂かなければいけん。そこにきちっとした信心が出来る、そこにきちっとしたおかげの裏付けもまた頂けるのだと私は思う。
こりゃようやく泥盛が済む、済もうかというくらいの時にです、神様がね自然の働きが薄うなってしもうたらどういう事になるだろう。いよいよ行人偏を行としてね、信心に修行が付き物。それはやはりね、勉強は絶対必要なのだとね、その修行におかげも、お徳も付いてくるものであってね、信心におかげが付き物であって、その後から修行がぼちぼち付いて来よるような修行じゃ、ほんなこっちゃないと私は思う。
今日私が、正義さんあちらへ行かれる時に、神様頂きました。自然の働きが薄うなったと、これは正義さんだけの事だけではない。ね、皆さんだけの事だけではない。第一私の信心修行が、これは薄うなっておるのも心して、こりゃおかげ頂かなければならんなと、私も思いよります。皆さんもだからそこの所をです、心がけさせて頂いてから、ね、変わった修行よりもです、ね、当たり前のようなこと。
信心させて頂くならこれが当たり前。ね。ちょっと心がければ直ぐ出来る、そういうような修行に一つ取り組ませて頂いてから、いよいよご造営の成就を頂かして、頂きたい。そして、お互いそのことを通して、信心の稽古をさせて頂きたい、そして修行のいよいよ有り難いということを分からせて頂きたいと、思うのでございます。どうぞ皆さん、先ほど申しました。
『善導、大橋、合楽』ね、こういう一つの理想的なです、ね、そういう一つの神の理想でもあり私共の理想であるところのおかげ、神様と私共がです、ね、合楽の場だけではない、自分の家庭の上にも、商売の上に置いてもです、あなたのおかげで、お前達のおかげでと、神様と氏子が喜び合えれるような信心を残してこそ、初めて子供に孫に伝わっていくという信心とはそういうものではなかろうかと。私は思うのでございます。
おかげ頂きまして有り難うございました。